転載/主張する自由 失うな 映画監督・山田洋次さん

東京新聞【言わねばならないこと】

(100)主張する自由 失うな 映画監督・山田洋次さん

2017年9月19日

写真

 他国を武力で守ることを可能にし、日本を「戦える国」に変質させる安全保障関連法が成立して十九日で二年。この間、犯罪を計画段階で処罰し、内心の自由を侵す恐れがあるとして、「現代の治安維持法」とも指摘される「共謀罪」法が成立した。不戦を掲げた憲法九条を変えようとする動きも進む。映画監督の山田洋次さん(86)が、いま「言わねばならないこと」を語った。

 民主主義の国の政府が国民の批判を誠実に受け入れる姿勢を持たねばならないことは当然のこと、むしろ喜んで耳を傾けるべきなのに、今の日本のジャーナリズム、マスコミ、あるいは国民の間にそのことについて一種の敗北感というか、表現の自由を自主規制するような萎縮した風潮があるようです。この不幸な傾向は、今年、僕たちの前に立ち現れた恐ろしい法律と関係があると思わないわけにはいきません。

 日本人はいま元気がない。古い表現ならファイトがない。特に若者、学生層に深い虚無感が漂っている。自由に考えること、自由に発言し、何でも主張できる伸びやかさ、明るさを失うことによって、僕たち国民は活力と想像力を失いつつある愚かしさに、この国は気づく必要がありはしないか。

 僕が大学を卒業した頃、戦後のごった返しのカオス(混沌(こんとん))のような混乱期のなか、個性的な文化人が輩出して豊かな文化が次々と生まれて、今日の日本の基礎がつくられた。あの伸びやかな民主主義の揺籃(ようらん)時代のことをいま懐かしく思うのです。

 憲法が誕生した時のことはよく覚えている。空襲の跡が生々しく残っている地方都市での物資不足の日々。旧満州中国東北部)からの引き揚げ者だった僕は食べるものがない。芋(いも)を食べられればいい方で、芋のツルを煮て食べたり、着るものも履く靴もないから、すり減った下駄(げた)で中学に通っていた。そんな状況で新憲法を読んだわけです。

 ■戦争をしない国

 衝撃的でした。軍国少年だった僕はこの国が軍隊を持たない、戦争をしない国になるというのは、言葉にはならないくらいの驚きだった。日本は変わるんだ、新しい国になるんだという興奮をあの頃の市民は誰もが戸惑いながら覚えたものです。社会の授業で痩せっぽちの若い先生が唾を飛ばしながら、憲法について語った姿を僕はまざまざと覚えています。

 民主主義や三権分立について懸命に勉強していた中学生の僕は、あれから七十年後、テレビで国会中継が始まると、憂鬱(ゆううつ)になって消してしまう。日本の心ある人が皆そうしたら、実は権力側の思うつぼなのでしょうか。

 昔の泥棒戸締まり論と同じように、憲法は米国に押しつけられたという乱暴な論理がある。これは歴史学憲法学上の複雑な議論が必要な問題なのに、それを無視して、単純で下世話な俗論に置き換えるという危険な言論操作です。

 ■撮らねばならない

 僕たち市民は、民主主義をよく学んで賢くあらねばならない、ということを近頃しきりに思う。父親治安維持法で逮捕された家族を描いた「母べえ」と、ナガサキの原爆が主題の「母と暮(くら)せば」は、僕にとって「撮らねばならない」映画でした。

 (聞き手・清水孝幸)

 <やまだ・ようじ> 1931年大阪生まれ。父が旧満州南満州鉄道(満鉄)に勤めていた関係でハルビン瀋陽などで暮らし、大連で敗戦を迎えた。東京大卒業後、54年に松竹大船撮影所に助監督として入社。69年に「男はつらいよ」シリーズを開始。作品に「幸福の黄色いハンカチ」「学校」「たそがれ清兵衛」「家族はつらいよ」など。2012年に文化勲章受章。来年1月に舞台「家族はつらいよ」が東京・日本橋三越劇場で上演される。